檜谷に岩の中に穴があって、蛇の赤い目がちかちかしていた。バイの木はいちめんこにエドマツのような風格で、はうように生えている。
 
 大蛇がいるっていったけど気持ち悪いよ。三メートルもあって、しなる。そんなところを三反歩伐ったの。刈ったあとに、大蛇が通ったように。はえずったような。

 古木洞には蛇がすんでいるといわれていた。おじいさんが、蛇が鳴くのを聞いたといった。穴があいていた。気持ち悪いのでよういかん。

 大平では大蛇が死んでいた。骨だけになって、その水は臭くてのめなかった。

 たつがしら。たつというのは龍。やしろから出すじゃないという言い伝えがあるので、たつがしらだけは、はまえんと言って、本殿の縁のところで、箱から出すだけ。
 能面と一緒に来た。どの峠を越してきたのか。能郷の白山神社か、小津かどっちかはわからない。大昔のこと。江戸時代じゃろな。
 能面も20ある。きれいなもんじゃ。舞堂(まいどう)と言った。いまの拝殿だ

 お宮さんに、子供が必勝祈願に行くという決まりがあって、前の日はなんもなかったのに、真っ白かに蛇の皮があちらにもこちらにもあったもんでね。一晩のうちに、無くなったんだ。
 
 
 戦争の形勢が悪くなったので、役の人が戦争がどういうふうになるかと聞いていたら、大きな兵隊さんが大勝利をするという夢を見たと。昭和19年、かかりの人が参ったら、扉があいていた。ご神体に、顔に大きな傷があった。その傷はいまでも残っている。神さんも戦争に行ってケガしたじゃろという噂になった。

 長者平に、昭和16年から19年までの間、20年までのこと。大きな蛇がいた。蛇つかみが、15キロばかりのを袋に入れて持っていた。

 海に千年、陸に千年すんで龍は昇天するのを見たとおすみさは教えてくれた。
西谷は龍が出ていくとき、すごい水量で、柄杓で水が汲めた。
 ある本に滝つぼの写真と詩があって、
 「山深く流れて落ちる滝の音、その滝つぼに龍神すむと人のいう」という詩があった。なぜか、いまでも覚えている。
 
 たかやという山があって、たかやを越した向こう側に、ぬめりという場所があって、うっとうしいような場所だ。そこに昔、太い大きな蛇がいたそうだ。
 たかやに仕事に行っていた人が言う事には、蛇が通っていくとき、どく間がないと、足を広げるしかない。すると、またの間を蛇が行く。