
ぽちは熊は三千メーターぐらいのところでも知っておった。わしは、あきれてまった。
鼻をこう振って。風が吹くと匂いがする。何か風がくるなと、すると、だあだあだあだあと洞をずっと上がっていく、風が具合ようくると上がっていって、風がそれると、匂いが来ないようになる。すると、匂いがないので、あちこち歩いて、匂いのするところ、探しとるわ。飛び上がったりして。
あんなことをやるのはまず熊じゃで。犬の行く跡をくっついて。そしたら、風がふうと。

古木洞には蛇がすんでいるといわれていた。おじいさんが、蛇が鳴くのを聞いたといった。
穴があいていた。気持ち悪いのでよういかん。大平では大蛇が死んでいた。骨だけになって、その水は臭くてのめなかった。大蛇を殺すと嵐になった

戦争の時は、藤の皮や麻を供出した。それも割り当てで。皮をむいて干して出す。役場へ出して、そこから、軍へ出すのか、県へ出すのか。兵隊さんの服に。
戦争に負けることは1年前からわかっていた。持って来るものを見ると、いまに負ける。藤の皮を供出したというが、ああいうもので織ったガタガタの服。鉄砲は青年学校の稽古に使うようなもの。水筒は竹筒。シナでおってみると、想像はついた。

町へ行く必要もないので、初めは長者に住み着いた。それがだんだん開けて、交流が始まったのが、滋賀県の板並の方だ。米作りも始まってきて、繭も生産するようになったりで、お金がいるようになる。鍛冶屋町に炭を売りにいった。江戸の中期ぐらい。
醤油を絞った糟を買っていたが、戦争の供出にする、家畜の餌にするので、売らないということを手紙でもらったのが昭和17年。

どくじは中瀬なら中瀬山にある。そこに入ると祟りがある。寺本山にはろくじだいらがある。
明治の時代に土地を分けた。分ける前に、焼き畑をしてたりするんだけども、いいとこじゃもんで、ここは俺の土地だと構えてまったのではないか。神さんを祀って。

8月に雪が降ったってのを知っているか。火山の噴火だと思う。
天保7年1837年。
江戸後期の大飢饉で、寺本だけでも70人が死んだ。
お寺さんが、よう供養してくれた、その時の恩があるよ。